大晦日に2012年12月31日 01時44分17秒

 あっという間に年末になってしまった。今年は本当にいろんなことがあった。還暦を目前に10年前ならもうすぐ定年で、その後のお楽しみのことを考えればいいころであるがこのごろは年金が当てにならず、企業もいつどうなるかわからない状況にはなっているものの、まさか自分で株式会社を設立して死ぬまで働く態勢ができてしまうとはいささか自分でも驚きである。そうしたいとゆっくり考えていたことではあるが。とりあえずサラリーマン生活からおさらばできたのは上出来である。よくも柄でもないことを33年間も続けたんだ。どれだけまわりに迷惑をかけたことか(これは殊勝に反省しているわけではなく、無意味な限りない戦歴を振り返っているだけです)。

 33年前にアカデミズムの世界を離れるべきではなかったのか?でもその時点では選択肢など考えもしなかった。人間にはほとんどの場合選択肢などないのだ。はじめから決まっている方向に選択したんだと思い込んで行っているだけのことだ。33年の間にも何度かアカデミズムに来るように手を差し伸べてくれた人はいたけれども十分に対応することができなかった。学位を取るのが遅すぎた。少なくとも学位をとってから大学を離れるべきだったんだろう。まあ、遠回りはしたけれども、なんとか還暦を目前にして、研究開発に専念する態勢が出来上がった。くたばるまで突っ走るしかあるまい。(ここでも選択肢がないのは自分でもよくわかっています。)

 政治の世界ではようやく衆愚の極みは終焉を迎え(でも野田くんはあんな人達の中でよくやったと思うよ)る「よう」である。それにしても閣僚の学歴を見るとこりゃなかなか衆愚からは抜けられないなと思ってしまう。何も東大が偉いというわけではない。しかし東大にも行けない程度の学力しかなかった人達かと思うと、まさに真のエリートからは程遠いように思われる。本当に実力があって這い上がってきている人には学歴なんていらないのはもちろんだ。しかし、2世3世で東大に行く程度の学力もないというのは正直情けない。国を支えて方向を決める人には自分の人並み優れた能力は私利私欲のためではなく国家のために社会のためにすべて捧げるのが使命であると悟っているような人たちになってもらいたいものであるが、滅びる前というのはこういうものだろうか?真のエリートを教育するための態勢はそうでない人たちによってでもできるのだろうか?

 (今年のぼやきじめでした。)

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