地震顛末記 ― 2018年06月25日 00時22分57秒
このブログもお正月の挨拶だけにここのところなってしまいました。忙しいのと体力の余力がないのとどうでもいい私生活露出趣味がないのと・・・
まあめんどくさくなってなってしまったのかな。最近は先の大阪北部の地震で帰宅難民直前だったことを合う人ごとにお話ししているので、その話を覚えているうちに書いておこう。
地震の日は18日だけど、その前の週は木金と九州の共同研究先の大学に行き、昼も夜も忙しくして、土日は娘が嫁いでいる山口に寄って蛍見に行ったり(ダイヤモンドの蛍光も主要なテーマの一つなので、オリジナルの蛍もぜひ見ておかなければならない!?ってなことで)55年ぶり(たぶん)に蛍を鑑賞にいったり、とばたばたとしていました。家に帰りついたのが17日の夕方で、PCとかスマホのバッテリー残量はどちらも60%くらいしかなかったのですが、明日仕事に行ったときに充電すりゃいいや、と考えてそのままでした。私は7年前に会社独立して、最近は前に行っていた津田にある会社に業務委託で自分自身をおよそ週に3日派遣していたのですが、たいてい月曜日は避けていました。(まあ、日曜日の夕方にブルーになるのが月曜日に自宅で自分の会社の仕事をすることにしたらどうなるかという実験もあったのですが・・・もちろん日曜日の夕方にブルーになるなんてことはなくなりましたよ!)ところが18日の週は仕事が忙しそうだったので、珍しく月曜日から出勤することに、しかも早め(7時前)に家を出ていました。
そうして迎えた18日7時58分、乗っていた電車はバスに乗り換える一つ手前の星田駅のホームにちょうど差し掛かるところでした。急にガタガタガタガタと横揺れがあり、てっきり電車が脱線したのかとその瞬間思いました。しかし周りの人のスマホの緊急地震警報が一斉に鳴りだし、外を見ると近くのビルの携帯基地局のアンテナが大きく横揺れしていたので地震だとわかりました。(自分のスマホが緊急警報対応でないのは前から気が付いていて機種変更しようかと考えてはいたのですが・・・)幸運なことに、停車したのは星田駅のホームのほぼ定位置でした。トイレの心配はないわけです。さて停車してから何がどうなっているのかスマホで調べようとするのだけど(周りの人も一斉にスマホにかじりついていた)ネットニュース見てもほとんど有効な情報は得られない。駅員の構内放送も30分くらいして関西の鉄道は全線停止していることと再開のめどはいまのところ立っていないの言うだけ。最初は、1、2時間のうちには動くかなと勝手に期待して電車の中で待っていた。大勢いた高校生は歩いたのか家族が迎えに来たのかだんだんと減り、駅にたくさんいた人も自宅に近い人は帰り、また職場から迎えが来る人もだんだんと増えて、2時間ばかり経つと駅にいる人もはじめの1/3位にはなっていたみたい。一向に運転再開のめどはたたず、駅員に聞いても様子が全く分からないのだけどこの状況では運転再開は早くても夕方以降になるでしょう、との話を聞いて、はじめ隣のバスが出ている駅まで歩こうかと考えたのだけど(道がわからないのであまり気が進まなかったがスマホの地図で何とか見当はついたので)、その前にダメもとでいく先の会社に駅まで迎えに来てはもらえないだろうかと連絡したところ、来てくれることになったので、何とか出勤してその日に予定の仕事をこなすことができた。駅で待っている間もバッテリーの残量を気にしながら情報を集めようとしたのだけど、結局ネットではほとんど有効な情報が集められず、山口にいる娘とショートメールでの連絡が一番スムースだったので、娘がTVで見た情報をショートメールで知らせてもらっていた。スマホのバッテリー残量が気になって、PC(これもバッテリー残量多いわけではなかったが)から充電しながら使用していた。前日に充電しとけばよかったなとか思ってもしようがないしな。
さて仕事場について昼飯も食って仕事もして、夜になればJRも動くだろうとたかをくくっていたのだけど・・・、夜になってもJRは動きそうにはない。はじめ早くて17時には部分的に運転再開の予定とかネットに出ていたのだけど、17時になると早くて19時以降に部分的に運転再開になる予定と変更された時点で、JRはあきらめて私鉄を乗り継ぐ方法を考え始めた。京阪とか阪神は午後には運転再開したようなので、あとは歩きで何とかなりそうだった。結局仕事場を出たのが19時でその時にはJRのHPでは運転再開は21時頃からとか再変更されていたな。仕事場から河内磐船まではバスが出ているので河内磐船まで移動し、そこから京阪の河内森まで歩き(これは近い)枚方経由で淀屋橋まで、淀屋橋から阪神梅田まで歩き(15分くらいだったかな)、阪神で杭瀬まで。そこから歩き(これが25分くらいかかった)で帰宅。JR尼崎の改札前を通ったのは21時15分くらいで、とりあえず運転再開されたがいつ来るのかわからない状態だった。さて、最後の試練は住んでるマンションの階段。家人より朝からエレベーターは止まっていていつ位から動くかわからない、夕方になっても動いていないと聞いていたので、あるいて10Fまで上がるのは覚悟していたが・・・なんと幸運なことに帰り着く10分前くらいに点検が終わって開通していた。帰ってシャワー浴びて飲んだビールのうまかったこと。
さて、後から考えてみれば、という話になるが考えることはいろいろある。
(1)情報の少なさ
地震直後、いつ電車が運転再開するのかについてJRからの公式見解(早くて17時以降)が出たのは午後になってからであったと記憶する。結局駅員さんが、私たちも情報がないので正確なところはわからないのだけど、この状況を見ると運転再開は夕方以降になると思いますと話してくれたのが10時過ぎ。もっと早くわかっていれば、隣の駅まで歩いてバスを待つということもできたのではないかと思う。緊急時に備えて自宅から仕事場までの地図を持っておいた方がいいかなと、かねて思ってはいたのだけど準備していなかった。スマホの操作もへったぴいなままだし。
また地震の情報を知るには、ネットのニュースがいかに役に立たないかよくわかった。やはり早くて必要な情報がでているのはTVしかない。今ははやらないワンセグがまた復活することはなさそうなので、ネットTVがこれから増えるんだろうな。
(2)いつもの遅めの電車なら
いつもの遅めの電車だと、海老江の駅を出る時間に地震は発生したので、おそらく海老江のホームで止まったものと思われる。ここからだと尼崎まで歩いて1時間強なので、午前中に歩いて帰ることになったのかな。地下で緊急停止した場合には次の駅のホームまで行くのかいな?地下線路を歩くなんて閉所恐怖の私にはいやだな。地上の線路でも鉄橋を歩いて渡るなんて、高所恐怖の私にはいやだな。ついでに言えば歩いて帰宅するときも、大きな橋を歩いて渡るのは怖そうでいやだな。まあ端を渡らなければいいのかな。
(3)お店
18日はコンビニもスーパーも食料品はすぐになくなったみたい。私は自宅には水とビールの備蓄はある。おつまみの備蓄は最近補充ができていなかったかも。地震対策はぼつぼつではあるがやり始めてはいたが、今回はそれが有効になるほどの規模ではなかった。
とりあえずは、このあたりで。
まあめんどくさくなってなってしまったのかな。最近は先の大阪北部の地震で帰宅難民直前だったことを合う人ごとにお話ししているので、その話を覚えているうちに書いておこう。
地震の日は18日だけど、その前の週は木金と九州の共同研究先の大学に行き、昼も夜も忙しくして、土日は娘が嫁いでいる山口に寄って蛍見に行ったり(ダイヤモンドの蛍光も主要なテーマの一つなので、オリジナルの蛍もぜひ見ておかなければならない!?ってなことで)55年ぶり(たぶん)に蛍を鑑賞にいったり、とばたばたとしていました。家に帰りついたのが17日の夕方で、PCとかスマホのバッテリー残量はどちらも60%くらいしかなかったのですが、明日仕事に行ったときに充電すりゃいいや、と考えてそのままでした。私は7年前に会社独立して、最近は前に行っていた津田にある会社に業務委託で自分自身をおよそ週に3日派遣していたのですが、たいてい月曜日は避けていました。(まあ、日曜日の夕方にブルーになるのが月曜日に自宅で自分の会社の仕事をすることにしたらどうなるかという実験もあったのですが・・・もちろん日曜日の夕方にブルーになるなんてことはなくなりましたよ!)ところが18日の週は仕事が忙しそうだったので、珍しく月曜日から出勤することに、しかも早め(7時前)に家を出ていました。
そうして迎えた18日7時58分、乗っていた電車はバスに乗り換える一つ手前の星田駅のホームにちょうど差し掛かるところでした。急にガタガタガタガタと横揺れがあり、てっきり電車が脱線したのかとその瞬間思いました。しかし周りの人のスマホの緊急地震警報が一斉に鳴りだし、外を見ると近くのビルの携帯基地局のアンテナが大きく横揺れしていたので地震だとわかりました。(自分のスマホが緊急警報対応でないのは前から気が付いていて機種変更しようかと考えてはいたのですが・・・)幸運なことに、停車したのは星田駅のホームのほぼ定位置でした。トイレの心配はないわけです。さて停車してから何がどうなっているのかスマホで調べようとするのだけど(周りの人も一斉にスマホにかじりついていた)ネットニュース見てもほとんど有効な情報は得られない。駅員の構内放送も30分くらいして関西の鉄道は全線停止していることと再開のめどはいまのところ立っていないの言うだけ。最初は、1、2時間のうちには動くかなと勝手に期待して電車の中で待っていた。大勢いた高校生は歩いたのか家族が迎えに来たのかだんだんと減り、駅にたくさんいた人も自宅に近い人は帰り、また職場から迎えが来る人もだんだんと増えて、2時間ばかり経つと駅にいる人もはじめの1/3位にはなっていたみたい。一向に運転再開のめどはたたず、駅員に聞いても様子が全く分からないのだけどこの状況では運転再開は早くても夕方以降になるでしょう、との話を聞いて、はじめ隣のバスが出ている駅まで歩こうかと考えたのだけど(道がわからないのであまり気が進まなかったがスマホの地図で何とか見当はついたので)、その前にダメもとでいく先の会社に駅まで迎えに来てはもらえないだろうかと連絡したところ、来てくれることになったので、何とか出勤してその日に予定の仕事をこなすことができた。駅で待っている間もバッテリーの残量を気にしながら情報を集めようとしたのだけど、結局ネットではほとんど有効な情報が集められず、山口にいる娘とショートメールでの連絡が一番スムースだったので、娘がTVで見た情報をショートメールで知らせてもらっていた。スマホのバッテリー残量が気になって、PC(これもバッテリー残量多いわけではなかったが)から充電しながら使用していた。前日に充電しとけばよかったなとか思ってもしようがないしな。
さて仕事場について昼飯も食って仕事もして、夜になればJRも動くだろうとたかをくくっていたのだけど・・・、夜になってもJRは動きそうにはない。はじめ早くて17時には部分的に運転再開の予定とかネットに出ていたのだけど、17時になると早くて19時以降に部分的に運転再開になる予定と変更された時点で、JRはあきらめて私鉄を乗り継ぐ方法を考え始めた。京阪とか阪神は午後には運転再開したようなので、あとは歩きで何とかなりそうだった。結局仕事場を出たのが19時でその時にはJRのHPでは運転再開は21時頃からとか再変更されていたな。仕事場から河内磐船まではバスが出ているので河内磐船まで移動し、そこから京阪の河内森まで歩き(これは近い)枚方経由で淀屋橋まで、淀屋橋から阪神梅田まで歩き(15分くらいだったかな)、阪神で杭瀬まで。そこから歩き(これが25分くらいかかった)で帰宅。JR尼崎の改札前を通ったのは21時15分くらいで、とりあえず運転再開されたがいつ来るのかわからない状態だった。さて、最後の試練は住んでるマンションの階段。家人より朝からエレベーターは止まっていていつ位から動くかわからない、夕方になっても動いていないと聞いていたので、あるいて10Fまで上がるのは覚悟していたが・・・なんと幸運なことに帰り着く10分前くらいに点検が終わって開通していた。帰ってシャワー浴びて飲んだビールのうまかったこと。
さて、後から考えてみれば、という話になるが考えることはいろいろある。
(1)情報の少なさ
地震直後、いつ電車が運転再開するのかについてJRからの公式見解(早くて17時以降)が出たのは午後になってからであったと記憶する。結局駅員さんが、私たちも情報がないので正確なところはわからないのだけど、この状況を見ると運転再開は夕方以降になると思いますと話してくれたのが10時過ぎ。もっと早くわかっていれば、隣の駅まで歩いてバスを待つということもできたのではないかと思う。緊急時に備えて自宅から仕事場までの地図を持っておいた方がいいかなと、かねて思ってはいたのだけど準備していなかった。スマホの操作もへったぴいなままだし。
また地震の情報を知るには、ネットのニュースがいかに役に立たないかよくわかった。やはり早くて必要な情報がでているのはTVしかない。今ははやらないワンセグがまた復活することはなさそうなので、ネットTVがこれから増えるんだろうな。
(2)いつもの遅めの電車なら
いつもの遅めの電車だと、海老江の駅を出る時間に地震は発生したので、おそらく海老江のホームで止まったものと思われる。ここからだと尼崎まで歩いて1時間強なので、午前中に歩いて帰ることになったのかな。地下で緊急停止した場合には次の駅のホームまで行くのかいな?地下線路を歩くなんて閉所恐怖の私にはいやだな。地上の線路でも鉄橋を歩いて渡るなんて、高所恐怖の私にはいやだな。ついでに言えば歩いて帰宅するときも、大きな橋を歩いて渡るのは怖そうでいやだな。まあ端を渡らなければいいのかな。
(3)お店
18日はコンビニもスーパーも食料品はすぐになくなったみたい。私は自宅には水とビールの備蓄はある。おつまみの備蓄は最近補充ができていなかったかも。地震対策はぼつぼつではあるがやり始めてはいたが、今回はそれが有効になるほどの規模ではなかった。
とりあえずは、このあたりで。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://utataneneko.asablo.jp/blog/2018/06/25/8902613/tb
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。